協会からのお知らせ

(公財)古都大宰府保存協会から、催事や活動の様子などをお伝えします。

最新一覧

2022年 06月01日
大宰府展示館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や換気などの安全対策を実施します。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用のご協力をお願いします。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。
● 混雑状況によってはご入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。


皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2022年 06月01日
水城館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や換気などの安全対策を実施します。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用のご協力をお願いします。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。
● 混雑状況によってはご入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。
 
2022年 02月09日
定例散策(門前町・大宰府政庁跡・水城跡・客館跡)のご案内
大宰府史跡解説員が定期的に史跡をご案内する「定例散策」を実施しています!
ぜひご参加ください!

●毎月第1日曜日(1月は除く)
 「門前町散策」
 
集合場所/ 太宰府館 (太宰府市宰府3-2-3 (092)918-8700)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 奇数月(上三町コース)(三条、連歌屋、馬場地区)
 偶数月(下三町コース)(大町、新町、五条地区)
 ※ 少雨決行
 
●毎月第2日曜日
 「大宰府政庁跡周辺」
 集合場所/ 大宰府展示館 (太宰府市観世音寺4-6-1 (092)922-7811)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 大宰府展示館入館料200円が別途必要です
   ※ 少雨決行

●毎月第3日曜日
 「水城提散策」
 集合場所/ 水城館 (太宰府市国分2-17-10 (092)555-8455)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行

●毎月第4日曜日
 「客館跡周辺散策」
 集合場所/ 客館跡展望所前(西鉄二日市駅東口から徒歩5分)
   集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 コース/  客館跡~榎社~推定朱雀大路~朱雀門礎石~大宰府政庁跡(解散)
 ※ 少雨決行

いずれも、参加費無料・申込不要です。

 

 
2021年 11月26日
大宰府政庁跡に立つ三基の石碑
 古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~

 大宰府政庁跡を訪れると中央にひときわ目立つ3基の石碑が目に入ります。
 これらの石碑は今から約100年~150年前に大宰府跡の保護を願って建立されたものです。
 古代において地方最大の役所「大宰府」が置かれた政庁跡でしたが、機能が終焉(しゅうえん)した中世以降は荒廃が進みました。
 その後、近世・江戸時代以降になると礎石が抜き取られ、土地は田畑へ転用されて耕作地になるなど、さらに荒廃していきました。

 そのような中、明治4(1871)年、明治13(1880)年、大正3(1914)年と相次いで政庁跡に「大宰府」を顕彰する石碑が建立されました。

向かって左側  太宰府址碑(だざいふあとひ)  明治13(1880)年 建立
向かって中央  都督府古趾碑(ととくふこしひ) 明治4(1871)年  建立
向かって右側  太宰府碑(だざいふひ)       大正3(1914)年  建立

 地元の人々による「大宰府」保護への強い願いと深い想いの顕れであるこれら3基の石碑についてご紹介いたします。



太宰府址碑 明治13(1880)年8月建立

 刻まれている文章(碑文)は、黒田藩の学問所修猷館(しゅうゆうかん)の館長であった竹田定簡(たけださだひろ)の案を基に、福岡県令を務めていた渡辺清(わたなべきよし)が作成したと考えられています。

 碑文には、大宰府の由来をはじめ、時代と共に移り変わり行く中で今は礎石(そせき)を残すのみとなった大宰府跡が、廃墟となり跡形もなく消え去ってしまう事を嘆き、御笠郡(みかさぐん)の人々がこの碑を建立したことが記されています。
 この500字程に及ぶ碑文の文字を書いたのは、明治時代を代表する書家として知られる日下部鳴鶴(くさかべめいかく)です。彦根藩に生まれた鳴鶴は官僚として活躍しますが、40歳の時に官を辞して、書の道に生きました。石碑にある東作(とうさく)は本名です。
 また、碑文の上に大きく篆書体(てんしょたい)で書かれた「太宰府址碑」の字は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の筆とされます。親王は明治新政府の総裁を務めるなど活躍した人物ですが、西南戦争の指揮のため九州を訪れたり、大宰帥(だざいのそち)や福岡県令を務めるなど福岡と縁深い人物でもありました。

〔太宰府址碑 碑文〕 (PDFファイル 120KB)

↑ 碑文をご覧になりたい方はこちらをクリック下さい



都督府古趾碑 明治4(1871)年7月建立

 正殿跡にある3基の石碑の中で最も古いものです。
 石碑を建立した高原善七郎は御笠郡乙金村(おとがなむら)〔現在の福岡県大野城市〕で代々庄屋を務める家に生まれました。
 33歳で大宰府跡が所在する観世音寺村(かんぜおんじむら)庄屋を務めるなど活躍すると共に、地域に残る文化財の調査や保存、顕彰(けんしょう)などにも努めました。

 81歳で政務を引退した善七郎が最後に取り組んだのが政庁跡への石碑建立でした。歴史ある大宰府跡が荒れ果て、人々に忘れ去られていくことに心を痛めていた善七郎は、明治3(1870)年に長年の悲願であった石碑建立を願い出ました。明治4(1871)年に無事建立され、その様子を見届けるかのように建立の翌年(1872年)に善七郎は永眠しました。
 石碑にある「都督府(ととくふ)」は古代中国の役所の名称で、菅原道真(すがわらのみちざね)公が漢詩「不出門(ふしゅつもん)」で大宰府を中国風に「都府(とふ)の楼には・・・」と表現したことに由来しており、現在も大宰府政庁跡は都府楼跡(とふろうあと)と呼ばれ親しまれています。

〔参考:高原善七郎の石碑建立の願書控〕(PDFファイル 56KB)
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太宰府碑 大正3(1914)年8月建立

 政庁跡の3基の中で建立が最も新しいものですが、石碑の文章が作られたのは最も古いものです。
 碑文を作ったのは儒学者・医者であり福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の学長を務めた亀井南冥(かめいなんめい)です。
 南冥は寛政元(1789)年11月に文章を完成させましたが、碑文の一部「當今封建國邑(まさにいまこくゆうをほうけんし) 名器非古(めいきいにしえにあらず)」が体制批判であるとされ、石碑の建立は中止されてしまいます。

 この時期は福岡藩内で学閥(がくばつ)争いがあり、やがて幕府の命令により朱子学以外の学問が禁止されると、南冥は職を解かれ謹慎のとなり、文化11(1814)年失意のうちに亡くなります。
 その後、南冥の志を受け継いだ門下生などの尽力により、南冥没後100年の大正3(1914)年に石碑が建立されました。

〔太宰府碑 碑文〕(PDFファイル 151KB)
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■古絵葉書から見る政庁跡の石碑

戦前発行の絵葉書に写された政庁跡や石碑の風景をどうぞご覧ください。


絵葉書 その1 PDFファイル 290KB
↑ ご覧になりたい方はこちらをクリックください

絵葉書 その2 PDFファイル 274KB
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絵葉書 その3 PDFファイル 304KB
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☂ 雨天時は大宰府展示館へどうぞ

大宰府展示館では太宰府拓友会の皆様に採取いただいた三基の石碑の拓本を展示しております。
雨天時など、現地での石碑見学が難しい場合はぜひ大宰府展示館をご利用ください。


〔参考文献〕
・太宰府市文化ふれあい館『拓本でたどる保存の心』2006年
・太宰府市文化ふれあい館『碑帖辿歴 拓本で紡ぐ史跡のかたち』2019年

2021年 11月12日
古代の大宰府を眺めてみよう「大宰府条坊イメージジオラマ」公開中です
■はじめに
 太宰府市の中央に位置する大宰府政庁跡には、7世紀後半から奈良・平安時代にかけて九州の政治・文化の中心となり、東アジアの国々との外交の窓口、軍事防衛の拠点として重要な役割を担った役所が置かれていました。
 この大宰府政庁跡に隣接する大宰府展示館は、昭和55年の開館以来、大宰府史跡の発掘調査で見つかった貴重な遺構を保存公開し、出土遺物や模型などで大宰府の歴史と文化をご紹介してきました。近年では、元号「令和」の典拠となった「梅花の宴」を博多人形で再現したジオラマを展示していることから、全国各地から多くのお客様にお越しいただいております。
 このたび、古代の大宰府をイメージしていただける「大宰府条坊 イメージジオラマ」を新たな展示資料として公開する運びとなりました。ぜひ一度、大宰府展示館へ足をお運びくださいませ。


 
■資料について
 今回新たに展示します資料は「大宰府条坊イメージジオラマ」です。
 古代の大宰府には約2km四方の街並みが広がり、内部は条坊制(じょうぼうせい)と呼ばれる奈良・平城京のような碁盤の目状の区画がされていました。
 大宰府の条坊についてはこれまで研究が重ねられており、近年は太宰府市教育委員会文化財課・井上信正氏が提唱する南北22条・東12坊・西8坊、1区画が90m四方の想定案が注目されています。
 本資料では、条坊の街並みのうち朱雀大路を中心に客館や南館、般若寺などの主要施設を含む、南北は8条から22条、東西は朱雀大路を中心に各6坊ずつの範囲を制作しています。

■資料詳細
 平面部分:750分の1スケール
 建物の高さ・地形の高さ:実際の縮尺で制作すると視認し辛い為、それぞれ視認しやすい任意の比率に高めて制作されています。
 サイズ:150cm×190cm


■古代大宰府の街並みについて
 古代大宰府の街並みは、中国・唐の長安にならった平城京や平安京と同じく、北の中央に中心となる施設・政庁(せいちょう)が置かれました。
 この政庁を起点として、南へ延びる朱雀大路 (すざくおおじ)を中心に碁盤の目のように道路が走り、街並みを区画する条坊制(じょうぼうせい)が広がっていたようです。
 条坊制に基づいて大宰府の街並みが造られていることは、大宰府が自然発生した都市ではなく、国家が主導して建設した都市であることを意味しています。当時の中国を中心とした東アジアの枠組みの中で、国際的な役割を担う都市として位置づけられていたようです。
 古代大宰府の街並みについては、大宰府史跡の発掘調査が進むなかで様々な復元案が検討されてきました。
 条坊制では東西を結ぶ列を条(じょう)、南北を結ぶ列を坊(ぼう)と呼びますが、現在では22条、朱雀大路を中心に東側に12坊、西側に8坊、それぞれの一区画が90m四方の街並み復元案が提示されています。


※赤枠部分が今回のジオラマで制作された範囲となります。
(図:太宰府市教育委員会文化財課 井上信正氏作成のものに一部加筆)


■ジオラマのイメージした時代8世紀後半ごろの大宰府について(赤枠内がおおよその時期)



■ジオラマ内の各所解説

朱雀大路(すざくおおじ)
 古代日本の都において、中央を南北に通じる主要道路を朱雀大路と呼びますが、大宰府の街並みにも大路が存在していました。大路は8世紀初頭頃に工事が行われたと考えられており、大宰府政庁の南側に位置する朱雀門からまっすぐ南へと延びています。
 大路は奈良・平城京の朱雀大路の半分の規模で設計されたようで、幅は36mほどありました。現在の高速道路10車線分にあたる幅ですが、8世紀後半から9世紀にかけて30mほどに、11世紀には15mほどになった箇所もあるなど、時代と共に大路の役割が変化するなかで道幅も縮小していったようです。

客館(きゃくかん)
 客館とは、外国からの使節たちが滞在するための施設です。古代における大宰府は、諸外国とのやりとりを行う窓口として重要な役割を担っていたため、政庁で外交儀礼などが行われました。
 海を渡ってやってきた外国の使節たちは、博多湾沿いの筑紫館(鴻臚館)にまず滞在し、その後、官道を進み、水城の西門を通り、大宰府の街並みへ南側から入り、客館に滞在しました。客館跡では青銅で出来たお鋺や皿、スプーン、貴重な陶磁器などが見つかっており、豪華なおもてなしが行われていたようです。

南館(なんかん)
 大宰府の街並みの中央を南北に貫く朱雀大路沿いには、大宰府で働く身分の高い役人(高官)の館が存在していたようです。901年、都から大宰府へ流されてきた菅原道真公は高官用の館に滞在しましたが、手入れも悪く、大変荒れ果てた様子だったようです。道真公が滞在した館は「府の南館」とも呼ばれ、道真公の死去後には浄妙尼(じょうみょうに)を祀る祠が建立され、現在は榎社が鎮座しています。
 また、榎社の周辺からは平安時代に公卿(くぎょう)(上流貴族)だけが着用を許された白玉帯(はくぎょくたい)の飾り(正方形をした巡方(じゅんぽう))も見つかっていることから、朱雀大路沿いにおける高官たちの活動がうかがえます。

般若寺(はんにゃじ)
 筑紫大宰帥(だざいのそち)であった蘇我日向(そがのひむか)が孝徳天皇(こうとくてんのう)の病気平癒を祈り、654年に建立したといわれる古代の寺院です。太宰府市朱雀(すざく)二丁目には般若寺という字名があり、現在も住宅地の一角に塔跡の一部と心礎(しんそ)(塔の中心柱の土台となる石)が残っています。
 般若寺は天皇ゆかりの寺院ですが不明な点も多く、筑紫野市にあった塔原廃寺(とうのはるはいじ)が奈良時代に入り大宰府へ移転したという説もありますが、諸説あり未だ確定はされていません。

■制作者 森野 晴洋(もりの はるひろ)様 広島県在住。
 歴史に関心を持っておられたが、大学時代を福岡で過ごしたなかで古代大宰府についても関心を持ち、古都大宰府をイメージできるようなものがあれば太宰府市を訪れる方々もより関心を持っていただけるのではと思案。
 そこで模型作りの特技を活かし、奈良市役所の平城京復元模型、京都市平安京創生館の平安京復元模型のような一目で往時の様子が分かるジオラマ制作を考え、古都大宰府保存協会にご相談いただいたのが制作の発端でした。
 それから約2年の歳月をかけて、当会からも参考資料などを提供し協議を重ねながら、社会貢献の一環としてボランティアで制作いただいた作品です。

 
2021年 09月29日
大宰府展示館は10月1日(金曜日)より開館いたします
新型コロナウイルス感染拡大防止のために臨時休館しておりましたが、緊急事態宣言解除に伴い10月1日(金曜日)より開館いたします。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

大宰府展示館のご案内はこちらから

入館に際してのお願いはこちらから

緊急事態宣言の解除と今後の対応について(太宰府市)はこちらから
2021年 09月29日
水城館は 10月1日(金曜日)より開館いたします
新型コロナウイルス感染拡大防止のために臨時休館しておりましたが、緊急事態宣言解除に伴い10月1日(金曜日)より開館いたします。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

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2021年 03月27日
Welcome to Dazaifu Exhibition Hall(大宰府展示館 英語案内)

Welcome to Dazaifu Exhibition Hall 大宰府展示館へようこそ

Dazaifu Exhibition Hall is dedicated to telling the story of Dazaifu. Thirteen centuries ago, Dazaifu was the administrative center of Kyushu, as well as a political, religious, and cultural powerhouse. The city was also Japan’s gateway to the outside world. As Japan was located at the eastern end of the Silk Road—the ancient trade route that connected the East to the West—the culture and goods that flowed through Dazaifu created a spirit of internationalism, sophistication, and scholarship that was rare in Japan at the time.
   Dazaifu Exhibition Hall tells the story of Dazaifu’s rich history. Discover how the area’s natural topography was exploited for defensive purposes; look at detailed dioramas of the palatial government offices and notice the distinctive Chinese influence; find out how the colors people wore were connected to their rank and occupation, and learn about the unusually varied cuisine enjoyed by residents of the city. The photo gallery highlights the ongoing excavation process that is revealing much of ancient Dazaifu.
   Dazaifu is closely related to the name of the Japanese era beginning in 2019, Reiwa. The naming of Reiwa has its origins in poems crafted at a plum blossom party that took place in Dazaifu in the eighth century.
   We hope you enjoy your journey back to the world of ancient Dazaifu.






Dazaifu Diorama: Natural Defenses 大宰府 再現ジオラマ 自然防衛
 
Dazaifu was Kyushu’s de-facto political and cultural center between the seventh and twelfth centuries. The city’s location was carefully chosen to take advantage of the topographical features of the area. The diorama shows how the surrounding mountains and landscape formed a natural bottleneck, offering a strong degree of protection from would-be invaders.
   Dazaifu’s proximity to mainland Asia made it a major diplomatic hub. The city was the first port of call for foreign delegations who docked in Hakata Bay. However, the government feared that its proximity to the sea rendered the city susceptible to attacks from foreign forces, as in the seventh century the Asian continent was a place of political unrest. Thus, it ordered the building of Mizuki—a defensive wall with an extensive moat that stretched over 1 kilometer—to thwart potential attacks from the coastal plain where the city of Fukuoka is now located. Fortresses were constructed to provide further protection, including Ono Fortress on the top of Mt. Shioji. You can still see the remains of these defenses today.
   When visiting dignitaries arrived in Dazaifu, they stayed in a special Guest House. The area outlined in yellow highlights this location. While the visitors were in residence, the Guest House was effectively an extension of their home country—somewhat similar to the case of foreign embassies today.


Model of the Dazaifu Government Offices 大宰府政庁の模型
 
This is how the Dazaifu administrative complex would have looked in the tenth century, a time defined by the Silk Road trade and strong ties with China and the Asian continent. Chinese influences can be seen in the aesthetics of the structures and in their symmetry, a common feature of Chinese palaces.
   The buildings were painted a bright vermilion, also known as Chinese red. The color carried associations with life and rebirth and was thought to ward off evil. The buildings were constructed following the Chinese philosophical theories of wuxing—a concept based around the interconnection of five phases or five elements—and feng shui. The main administrative hall was built facing south, which offered positive feng shui, and its location at the base of Mt. Shioji offered natural protection.
   The roofs of the halls featured onigawara “demon” tiles to scare off evil in a similar fashion to gargoyles on medieval cathedrals in the West. The onigawara on display was excavated in Dazaifu and the open maw and bulging eyes accentuate the creature’s wrathful features. Inside the halls, square and triangular tiles adorned with flower and plant imagery were used for the floors and stairs.
   The grounds where the administrative complex once stood are directly outside the Exhibition Hall. While only foundation stones remain today, it was once an expansive and grand complex befitting the powerful and cosmopolitan city of Dazaifu.



Color and Hierarchy in Dazaifu 大宰府の色と位階
 
Color was deeply symbolic in ancient Japan. Government officials wore certain colors based on their occupation and rank. The governor-general wore light purple, similar to the figure seen in the display. Those in other occupations also wore status-specific colors. Rank was also extremely important. It determined the eligibility for specific jobs in the bureaucracy as well as the right to wear designated colors. You can still see signs of this hierarchical system today in shrines across Japan, including at nearby Dazaifu Tenmangu and Kamado Shrine, where priests wear specific colors based on their rank.
   Belts were imbued with significance too. The ornate belt seen on the left in the display cabinet would have contrasted with plainer belts worn by lower-ranking officials. Ironically, these belts were worn beneath the clothing and therefore out of sight.
   The flat wooden tablets are mokkan. These were used for a variety of purposes, such as recording information about taxable goods. Mokkan were also eco-friendly. When no longer required, the thin layer of wood with writing on it would be shaved off with a sharp knife and the tablets re-used. This was a valuable feature at a time when paper was expensive and a scarce commodity.
   In the middle of the display, you can see an inkstone and a reproduction of an ink stick made from pine soot. The soot was kneaded together with glue and then fashioned into the boat-like shape seen here. It is possible that scribes of the day used writing equipment like this to record some of the poetry found in the Man’yoshu—a large and culturally important anthology of poetry from across Japan, including verse composed in Dazaifu.





Diorama of Eighth-century Dazaifu 8世紀の大宰府のジオラマ
 
This diorama depicts how the compact yet powerful city of Dazaifu was laid out in the eighth century. Dazaifu literally translates as “Great Government Administrative Headquarters,” and the city was a vital foreign trade hub, military stronghold, and government administrative center. However, Dazaifu was not devoted solely to politics. It also played an important role in Japanese culture and religion.
   At the far right of the diorama you will find Kanzeonji Temple as it used to look when it was an immense complex and the leading Buddhist temple in Kyushu. A handsome five-story pagoda once stood on the grounds, but this was destroyed along with numerous other buildings by natural disasters, and only a few structures (none of them original) remain today.
   A school adjacent to the temple educated boys from northern Kyushu, and these young scholars went on to become government officials stationed on the island. To this day, Dazaifu is considered a center of scholarship. Millions of high school students make pilgrimages to Dazaifu Tenmangu every year to pray to Tenjin—the spirit of scholar and politician Sugawara Michizane (845–903) who was enshrined there and regarded as the deity of learning. Students pray for his blessing and for success in their exams.
   The government offices were located at the foot of Mt. Shioji and benefitted from the natural protection of the mountain and Mizuki, the defensive wall and moat. This administrative center was a palatial complex with grand vermilion-painted structures and was modeled on Heijo-kyo, the imperial court and palace located in modern-day Nara. This diorama gives an idea of the scale of Dazaifu in the eighth century, but ongoing excavations are revealing more about the scale and history of this ancient city.



Revisiting Ancient Dazaifu 古代大宰府を再訪


Dazaifu was once a key center of government administration and international diplomacy. The area had strong cultural links with the Asian mainland and was a hub of new ideas and cultural developments. However, as control of the country fell into the hands of samurai and feudal lords in the twelfth century, the city’s influence waned. Excavations over the past five decades have revealed the scale of ancient Dazaifu, and archaeological digs and aerial photos provide a much clearer idea of Dazaifu’s former design and organization.
   After sites are excavated, they are filled-in and covered with grass to protect the remains, and the area is marked to show what lies beneath. This post-excavation process has the dual role of preserving the natural landscape and highlighting the history of the area. A few examples of the finds are deliberately left visible, such as this drainage ditch. The ditch dates to the early eighth century and has been preserved in its original location. The walls of the Exhibition Hall were built around it.
   The museum works closely with the local community, listening to concerns and ensuring the ongoing excavation work does not disrupt residents. It involves local residents in volunteer projects to help preserve and convey information about Dazaifu’s rich heritage and role in Japanese history.



Plum Blossoms and Poetry 梅花と詩
This diorama depicts a plum blossom party held at the official residence of Dazaifu Governor-General Otomo Tabito (dressed in purple) in 730. Government officials gathered under the plum trees—introduced from China and considered a rarity at the time—to eat, drink, and compose improvised verse together.
   This party has deep significance for Japanese culture. Thirty-two poems composed at this gathering can be found in the Man’yoshu (the oldest extant anthology of Japanese poetry, dating to the eighth century). The Reiwa era (2019–) was so named after modern-day Japanese government officials and historians were inspired by the kanji characters contained within the preface to these poems in the Man’yoshu.
   The seventh to twelfth centuries were a golden period in Dazaifu’s history. During this time, Dazaifu government officials had a keen understanding and appreciation of foreign cultures due to the city’s proximity to the Asian mainland and frequent interaction with other kingdoms. They were skilled in diplomacy and the military arts but were also expected to be accomplished poets. The plum blossom partygoers would have used their skills to improvise poems on such subjects as the blossoms, the weather, and the prevailing atmosphere of the gathering. An official scribe recorded the verses as they were recited.
   The Hakata Ningyo dolls in this tableau are very fine examples of pottery unique to Fukuoka. If you look closely, you can see plum blossoms in the sake cups and in the attendees’ hair. Note that the officials are wearing different colored garments indicative of their status.
   Plum trees have a special significance in Dazaifu. The grounds of Dazaifu Tenmangu Shrine are full of plum trees, including the fabled “flying” plum tree, tobiume. Legend tells the story of the plum tree of a Kyoto garden that uprooted itself and flew from Kyoto to Dazaifu to be close to Sugawara Michizane after the statesman and scholar was exiled from the city.
 
Who was Sugawara Michizane?
Sugawara Michizane (845–903) was a scholar and politician. After his death, his spirit was deified and enshrined at Dazaifu Tenmangu as Tenjin. He is known as a guardian of learning, culture, and the arts. Michizane had a particular liking for plum trees.



Dazaifu Food Culture 大宰府の食文化
Mokkan wooden tablets give us valuable insight into the food culture of eighth-century Dazaifu. Based on the information inscribed on tablets excavated in Dazaifu and Nara, the ancient capital, we have a good idea about what was consumed during this time.
   Foodstuffs, similar to the ones displayed here, were likely served at the “plum blossom party” in early 730. High-ranking officials were served the rich and varied spread on the left, while the more modest fare on the right was for lower-ranking participants.
   The menu for the most important guests included dried cuts of pheasant and salmon; ayu (sweetfish) sushi; abalone steamed in sake; various types of pickles; sea bream, squid, and other types of sashimi; and kusamochi, a traditional spring confection made from sweetened, pounded rice and the leaves of Japanese mugwort. Similar foodstuffs can still be found in Japanese teishoku (set meal) restaurants today.
   A few guests can be seen raising sake cups in the party diorama. Sake played a pivotal role at the party—as it does today at hanami parties celebrating cherry blossoms—and likely helped fuel the creativity of the guests as they crafted their poetry.



Reiwa—the dawn of an era 「令和」-時代の始まり
In Japan, a new era is born whenever an incoming emperor ascends the Chrysanthemum Throne. The Reiwa era began in May 2019, but the roots of its name are linked to the famous plum blossom party depicted in the diorama. Thirty-two poems composed at the party, along with a descriptive preface, appear in the Man’yoshu—the oldest extant collection of classical Japanese poetry. The two kanji characters that make up the era name, “Rei” and “Wa,” are taken from the preface. The meaning of the second character, “wa,” is unambiguous: “tranquility” or “harmony.” The first character, “rei,” typically means “command” or “order” in modern Japanese, but in the Man’yoshu passage in question, it means “beautiful,” “fine,” or perhaps “auspicious.” The poem begins as follows:


   It was the fine (rei) month of the advent of spring

   The air was clear and gentle (wa) breezes were blowing….


   Arguably, this passage seeks to capture the buoyant mood of not just the flowering of the plum trees but contemporary society as the author sees it. It is perhaps significant that the verses were written in Dazaifu, an area known for welcoming foreign cultures. In this sense, the nuance behind the characters for Reiwa offers a positive take on Japanese society and the future, hinting at an ethos of optimism, strong international relations, globalization, and appreciation for different cultures.



この英語解説文は観光庁の地域観光資源の多言語解説整備支援事業で作成しました。
This English-language text was created by the Japan Tourism Agency.
2020年 05月08日
おうちで「だざいふチャレンジ」 太宰府検定を解いてみませんか‼
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は、大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請の中、自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回、古都大宰府保存協会が事務局を務め7年間にわたって開催しました「太宰府検定」の問題を期間限定で再公開いたします。是非ご自宅で時間がある中、太宰府の様々な問題にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?



●「太宰府検定」とは?
 「太宰府検定」は太宰府の悠久の歴史や文化を広く全国に発信し、また地域・世代を越えた交流の場を設け、地域への愛着を深めると同時に、次世代の育成、地域の活性化を図ること等を目的に、2012年から2018年まで計7回を開催いたしました。
 「太宰府検定」は初級・中級・上級の3つの級があり、初級・中級は全100問で4択形式、上級は全50問で語句の解答・設問の穴埋め・短文論述などの記述式となっています。
 合格基準は各級とも正解率70%(70点)以上です。是非合格を目指してチャレンジください‼
 出題は太宰府の歴史・文化をはじめ自然・観光・暮らしなど様々なジャンルに及び、内容については森弘子先生監修・(財)古都大宰府保存協会編集の公式テキストである『太宰府紀行』を中心として、回によっては設定されたテーマから一定割合が出題されています。
 「太宰府検定」を通じて皆様が太宰府をもっと知り、より楽しみ、新型コロナウイルスが終息しましたら太宰府の各地へ訪れていただくキッカケとなりましたら幸いです。
  参考テキスト  海鳥社『太宰府紀行』


「太宰府検定」出題データ

・問題データはA4サイズのPDF形式(約500~800KB)となっております。
 それぞれの文字をクリックしますと該当のデータへと移動いたしますので、ダウンロードや印刷などにてご利用ください。


★第1回「太宰府検定」(2012年)
★第2回「太宰府検定」(2013年)
★第3回「太宰府検定」(2014年)

第1回・第2回・第3回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/852


★第4回「太宰府検定」(2015年) テーマ出題「大野城(四王寺山)」
★第5回「太宰府検定」(2016年) テーマ出題「日本遺産」

第4回・第5回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/851


★第6回「太宰府検定」(2017年) テーマ出題「さいふまいり」
★第7回「太宰府検定」(2018年) テーマ出題「大宰府史跡発掘50年」

第6回・第7回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/850


〔更新履歴〕
・2020年5月8日  公開開始
・2020年5月9日  データ更新
・2020年5月14日 データ更新
・2020年5月28日 データ更新・レイアウト変更
2020年 04月24日
おうちで「大宰府史跡ものがたり」を見よう!
新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請の中、令和発祥の都太宰府市では「#おうちで太宰府~令和発祥の都でBeautiful Harmony~」として自宅の暮らしをサポートする企画が始まりました。

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16961.html


この中の「映像で楽しむ太宰府プロジェクト」では、当財団が企画・制作した「大宰府史跡ものがたり」をご覧いただくことができます(第17回「全国地域映像コンクール」審査員特別賞受賞)。おうちで太宰府の魅力を再発見してみてください!

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16971.html