協会からのお知らせ

(公財)古都大宰府保存協会から、催事や活動の様子などをお伝えします。

最新一覧

2020年 07月01日
定例散策のご案内(門前町・大宰府政庁跡周辺・水城提)
大宰府史跡解説員が定期的に史跡をご案内する「定例散策」を実施しています!

●毎月第1日曜日(1月は除く)
 「門前町散策」
 
集合場所/ 太宰府館 (太宰府市宰府3-2-3 (092)918-8700)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行
 
●毎月第2日曜日
 「大宰府政庁跡周辺」
 集合場所/ 大宰府展示館 (太宰府市観世音寺4-6-1 (092)922-7811)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行

●毎月第3日曜日
 「水城提散策」
 集合場所/ 水城館 (太宰府市国分2-17-10 (092)555-8455)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行


いずれも、参加費無料・申込不要です。


 
2020年 06月01日
榊 晃弘『万葉のこころ』写真パネル展のご紹介
榊 晃弘『万葉のこころ』写真パネル展のご紹介
  
 
 大宰府展示館では、奈良時代に編まれた現存する日本最古の和歌集『万葉集』の世界を、写真家・榊晃弘先生よりご寄贈いただいた写真パネルにてご紹介しております。
(※3月1日より新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館させて頂いておりましたが、6月1日からの開館に合わせて展示を再開いたしております。)

 
 奈良時代のはじめ、『万葉集』の代表的歌人である大伴旅人や山上憶良など数多くの宮廷歌人が、「遠の朝廷」と呼ばれたこの大宰府に赴任しました。彼らがこの地で残した数々の歌は「万葉筑紫歌壇」とも称されています。
 
 歌に詠まれた故地を探し求め、その背景や心情など「こころ」を丹念に切り取った榊先生の作品を通じて、万葉の世界をぜひご堪能ください。

 写真展 開催期間 令和2年6月1日(月)より令和2年11月8日(日)まで
 ※期間中に写真資料の保護のため展示写真を入れ替える場合がございます。








晃弘(さかき てるひろ)
 
 1935年 福岡市生まれ
 1958年 西南学院大学商学部卒業
 
写真集 
 『装飾古墳』(朝日新聞社 1972年)
 『装飾古墳』(泰流社 1977年)
 『眼鏡橋』(葦書房 1983年)
 『歴史の町並み』(東方出版 2001年)
 『薩摩の田の神さぁ』(東方出版 2003年)
 『ローマ橋と南欧石橋紀行』(かたりべ文庫 2006年)
 『万葉のこころ』(海鳥社 2008年)
 『中国の古橋』(花乱社  2016年)
 『九州・沖縄の巨樹』(花乱社 2020年)

 
所属
 (公社)日本写真協会会員、福岡市美術連盟会員
  福岡文化連盟理事、福岡県美術協会名誉会員

 
受賞
 昭和48年度・日本写真協会新人賞(写真集/写真展『装飾古墳』)
 昭和59年度・日本写真協会年度賞(写真集/写真展『眼鏡橋』)
 昭和59年度・土木学会著作賞(写真集『眼鏡橋』)
 平成3年度・第16回伊奈信雄賞(写真展『歴史の町並み』)
 平成5年度・福岡市文化賞
 平成14年度・福岡県教育文化表彰
 平成25年度・地域文化功労者 文部科学大臣表彰
 平成28年度・福岡文化連盟「第5回青木秀賞」受賞
 平成29年度・福岡県文化賞 受賞



榊 晃弘『万葉のこころ』(税込)3456円 海鳥社

上記の『万葉のこころ』は大宰府展示館窓口で販売いたしております。「令和」ゆかりの地・太宰府へお越しの際は大宰府政庁跡そばの大宰府展示館へお越し下さいませ。
2020年 05月20日
大宰府展示館は6月1日(月曜日)より開館いたします
-大宰府展示館の開館について―
 新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため臨時休館を継続しておりましたが、緊急事態宣言解除に伴い、感染症
 対策を講じたうえで、6月1日(月曜日)から開館いたします。

開館日
 6月1日(月曜日)から
※6月1日(月曜日)は特別開館となりますが、以後の月曜日(祝日の場合は翌平日)から通常休館とさせていただきます

当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や
  消毒、職員のマスク着用などの安全対策を実施します。
● 施設の出入口を開放するなど、換気を行います。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用の上、ご入館ください。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、
  ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。



太宰府市ホームページ(5月15日発表)
◇「緊急事態宣言解除を受けて」
◇「市公共施設の利用再開について」



皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2020年 05月20日
水城館は6月1日(月曜日)より開館いたします
-水城館の開館について―
 新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため臨時休館を継続しておりましたが、緊急事態宣言解除に伴い、感染症
 対策を講じたうえで、6月1日(月曜日)から開館いたします。

開館日
 6月1日(月曜日)から
※6月1日(月曜日)は特別開館となりますが、以後の月曜日(祝日の場合は翌平日)から通常休館とさせていただきます

当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や
  消毒、職員のマスク着用などの安全対策を実施します。
● 施設の出入口を開放するなど、換気を行います。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用の上、ご入館ください。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、
  ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。



太宰府市ホームページ(5月15日発表)
◇「緊急事態宣言解除を受けて」
◇「市公共施設の利用再開について」



皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2020年 05月08日
おうちで「だざいふチャレンジ」 太宰府検定を解いてみませんか‼
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は、大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請の中、自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回、古都大宰府保存協会が事務局を務め7年間にわたって開催しました「太宰府検定」の問題を期間限定で再公開いたします。是非ご自宅で時間がある中、太宰府の様々な問題にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?



●「太宰府検定」とは?
 「太宰府検定」は太宰府の悠久の歴史や文化を広く全国に発信し、また地域・世代を越えた交流の場を設け、地域への愛着を深めると同時に、次世代の育成、地域の活性化を図ること等を目的に、2012年から2018年まで計7回を開催いたしました。
 「太宰府検定」は初級・中級・上級の3つの級があり、初級・中級は全100問で4択形式、上級は全50問で語句の解答・設問の穴埋め・短文論述などの記述式となっています。
 合格基準は各級とも正解率70%(70点)以上です。是非合格を目指してチャレンジください‼
 出題は太宰府の歴史・文化をはじめ自然・観光・暮らしなど様々なジャンルに及び、内容については森弘子先生監修・(財)古都大宰府保存協会編集の公式テキストである『太宰府紀行』を中心として、回によっては設定されたテーマから一定割合が出題されています。
 「太宰府検定」を通じて皆様が太宰府をもっと知り、より楽しみ、新型コロナウイルスが終息しましたら太宰府の各地へ訪れていただくキッカケとなりましたら幸いです。
  参考テキスト  海鳥社『太宰府紀行』


「太宰府検定」出題データ

・問題データはA4サイズのPDF形式(約500~800KB)となっております。
 それぞれの文字をクリックしますと該当のデータへと移動いたしますので、ダウンロードや印刷などにてご利用ください。


★第1回「太宰府検定」(2012年)
★第2回「太宰府検定」(2013年)
★第3回「太宰府検定」(2014年)

第1回・第2回・第3回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/852


★第4回「太宰府検定」(2015年) テーマ出題「大野城(四王寺山)」
★第5回「太宰府検定」(2016年) テーマ出題「日本遺産」

第4回・第5回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/851


★第6回「太宰府検定」(2017年) テーマ出題「さいふまいり」
★第7回「太宰府検定」(2018年) テーマ出題「大宰府史跡発掘50年」

第6回・第7回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/850


〔更新履歴〕
・2020年5月8日  公開開始
・2020年5月9日  データ更新
・2020年5月14日 データ更新
・2020年5月28日 データ更新・レイアウト変更
2020年 04月24日
おうちで「大宰府史跡ものがたり」を見よう!
新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請の中、令和発祥の都太宰府市では「#おうちで太宰府~令和発祥の都でBeautiful Harmony~」として自宅の暮らしをサポートする企画が始まりました。

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16961.html


この中の「映像で楽しむ太宰府プロジェクト」では、当財団が企画・制作した「大宰府史跡ものがたり」をご覧いただくことができます(第17回「全国地域映像コンクール」審査員特別賞受賞)。おうちで太宰府の魅力を再発見してみてください!

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16971.html
2020年 03月18日
おうちで「だざいふ」チャレンジ!牛乳を使って、古代の「蘇(そ)」を作ってみよう♪

〔おうちにいるみんなへ〕

 新型コロナウイルスが広まって学校などがお休みになってしまいました。
 そこで、お休みのあいだの時間を使って、おうちで牛乳を使ってかんたんに出来る「蘇(そ)」作りにチャレンジしてみませんか?
 むかしの人たちが食べていた「蘇」って一体どんな味がするのでしょう?
 その味は出来てからのお楽しみです♪
 

【保護者の皆様へ】
 福岡県では新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため学校が一斉休校となっています。
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、今回の長期間の休校をうけ、子供たちが自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回ご紹介する「蘇」は、1000年以上前の人々が食べていた古代食の一つです。学校が休校となり給食用の牛乳が余るなか、牛乳とホットプレートと1時間程度の作業時間があれば簡単にご家庭で出来るものです。ぜひこの機会に試してみてはいかがでしょうか。
 

◆準備するもの
・牛乳 適量
(煮詰めていきますので、出来上がりは元の量の大体10分の1くらいになります)
(本コーナーでは1リットルのものを使用しています)
・ホットプレート
(ガスコンロ等でも調理可能ですが、お子様とチャレンジされることを想定し、火を使わないホットプレートなどを推奨しております。また、ホットプレートは複数使用されますとブレーカーが落ちやすくなりますので、複数で作る際はご留意下さい)
・牛乳をかき混ぜるヘラなど

※調理時間の目安 1時間程度


〔保護者の皆様へ〕
太宰府市にあります永利牛乳は、市内の学校をはじめ福岡県内9市3町の学校給食へ牛乳を届けている会社です。給食の時間に飲まれた記憶がある方も多いのではないでしょうか。
現在、太宰府市では「ふるさと納税」などを通じて休校中における生産活動の支援をしておりますので、永利牛乳株式会社太宰府市「ふるさと納税」関連ページもあわせてご覧頂ければ幸いです。



蘇とは?
 「蘇(そ)」は「酥(そ)」ともいわれるもので、むかしの人たちが牛乳を煮つめて作って食べていたものです。
 今から1200年前の平安時代(へいあんじだい)につくられた『和名抄(わみょうしょう)』という辞書には、酥(そ)は牛などの乳から出来ているということが書かれています。
 同じ平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という法律をまとめたものには、「蘇(そ)」の作り方が書いてあります。
(『延喜式』「民部下」) 作蘇之法、乳大一斗煎、得蘇大一升
 少し文章が難しいですが、大1斗(約7.2ℓ)を煎じる(煮つめる)と大1升(約720㎖)の蘇を得られるということが書いてあり、蘇は牛乳をあたためて10分の1まで煮つめて作っていたようです
(※「升」や「斗」は当時使われていた量の単位で、大1升を10倍すると大1斗になります。詳しくは後ほどご紹介していますので合わせてご覧ください)
 
 今から1000年以上前の奈良時代や平安時代は牛乳がとても貴重でしたので、その牛乳を10分の1まで煮つめる蘇はもっと貴重でした。そのため蘇は天皇(てんのう)や貴族(きぞく)などが食べるとても豪華な食品でした。
 また、栄養満点の牛乳から作るので、むかしの人たちは病気の時にも食べていたようです。その他にも、仏さまへのお供えものとしてお坊さんたちにも大事にされていたようです。
 やがて蘇は日本全国で作られるようになり、大宰府からも都へたくさんの蘇が運ばれていた記録が残っています。
 
 ただ、残念なことに蘇の詳しいレシピは残っていません。ナゾの多い蘇を、ぜひ自分で作ってどんな味がするのか確かめてみましょう!


蘇を作ってみよう! 蘇の作り方
ホットプレートを180℃~200℃前後に温める

用意していた牛乳を流し込む


あとは牛乳が焦げないようにかき混ぜつつ、粘り気が出るまで煮つめる

 
ポイント1
 ホットプレートの縁などに付いてしまった牛乳は、焦げないうちに内側に削いで「だま」にならないようにかき混ぜましょう。また、かき混ぜないと表面に膜が出来てしまうので、固まらないよう気をつけてかき混ぜましょう。

ポイント2
 焦げ目が少ないと、風味が良く、美しい乳白色に出来上がります


出来上がるまでは1時間前後かかります。「蘇」についての色々なお話を下の方に載せていますので、牛乳をかき混ぜながら「蘇」のことをさらに知ってみましょう♪

 
1時間程煮つめていると牛乳の水分が飛んで、粘り気が出てきます。さらに固まってきたら、最後はサランラップなどにくるんで形を整えましょう。サランラップの空き箱などを使うと四角い形にするのに便利です。
 

熱が冷めて固まったら、お好きな形に切り分けて食べましょう♪

(※温かいままでも美味しく食べられます。形を整えて切る場合は冷蔵庫で1時間ほど冷やすと切りやすくなります)
 お好みでトッピングをするとより美味しくなるかも?
 1300年前の人たちも食べていた「蘇」をどうぞお召し上がり下さい。
 



蘇を煮つめてかき混ぜる間のよもやま話
蘇が出来上がるまで1時間ほどかかります。
牛乳をかき混ぜている間、蘇にまつわる色々なお話をみてみましょう♪
 
○蘇を食べる時はどんな時?
 
公益財団法人古都大宰府保存協会所蔵 饗宴(きょうえん)の膳(ぜん)と蘇(そ)の再現模型

博多人形による「梅花の宴」再現ジオラマ(山村延燁作)
 

 貴族の人たちが開く宴会(えんかい)など色々な時に食べられていたようです。
 天平2(730)年1月13日に大宰府で行われた「梅花の宴(ばいかのえん)」は、みんなが使っている元号(げんごう)「令和(れいわ)」の由来となった行事ですが、その時の食事でも出されていたと考えられています。大宰府展示館では、その時の食事の模型を展示していますので、新型コロナウイルスが治まったらぜひ遊びに来てください。
 
 また、栄養満点の牛乳から作られた蘇は病気の人が元気になるためにも食べられていたようです。
 中国の唐(とう)で作られた本で、遣唐使(けんとうし)の人たちが海を渡って日本へ持ち帰り、お医者さんの教科書として使われた『新修本草(しんしゅうほんぞう)』という本があります。
 この中で蘇は、内蔵をおぎなって、大腸を良くして、口の中のケガに効く食べ物として紹介されています。

 平安時代の貴族として有名な藤原道長(ふじわらのみちなが)は、長和5(1016)年に重い病気にかかりましたが、その時に薬として蘇と蜜(みつ)を煮たものを食べたことが記録にあります。このように蘇は薬のように使われてもいたようです。


○蘇の原料となった牛乳はいつから使われていたの?
 奈良時代に活躍した長屋王(ながやおう)という偉い人が住んでいた家の跡から「牛乳」と書かれた木簡(もっかん:木の板に墨で文字を書いたもの)が見つかり、1300年前の奈良時代から牛乳が使われていたことが分かりました。


○むかしは牛からどれくらい牛乳が採れたの?
 最初にもお話しした平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という法律をまとめたものには、牛から採れる牛乳の量が書いてあります。
(『延喜式』「民部下」)其取得乳者、肥牛日大八合、痩牛半
 よく育った牛からは1日に大8合(約576㎖)、痩せた牛からはその半分(約288㎖)の牛乳が採れたようです。
 現在の乳牛はエサも美味しくなり、技術も進歩したので、平均して1日に20ℓ~30ℓほど採れるそうです。
 むかしの牛乳がとても貴重だったことが分かりますね!



★むかしの人たちが使っていた「量」
 じつは奈良時代などむかしの人たちが量るために使っていた「升(ます)」の大きさがどのくらいだったのか詳しく分かっていません。
 これまで色々な人たちが調べてきましたが、現在では沢田吾一(さわだごいち)先生が調べた「当時の大1升=現在の約4合(約720㎖)」ではないかと考えられています。
 このページでも沢田先生の計算に基づいてご紹介しています。

 
大1合  約72㎖
大10合 = 大1升
 
小1升  約240㎖
小3升  = 大1升
 
大1升  約720㎖
大10升 = 大1斗
 
大1斗  約7.2ℓ
 


○大宰府でも蘇を作っていたの?
 平安時代には日本各地で蘇が作られるようになりました。そこで日本全国を6つの地区に分けて6年に1回ずつ、それぞれの地区が担当して決められた量の蘇を都へ送っていたことが、何度もご紹介している『延喜式』に書かれています。
 大宰府は5番目の地区で、巳亥年(現在だと干支(えと)の「へび年」と「いのしし年」)の担当として、都へ70壺の蘇を送ることが決められていました。
 
大宰府が都へ納めていた蘇の量はどれくらい?
 
(『延喜式』「諸国貢酥番次」)
第五番巳亥年 大宰府 七十壺
十五口  各大一升
三十五口 各大五合
二十口  各小一升
 
大宰府から都へ送る70壺は、それぞれ大きさも決まっていました。
70壺のうち15個は大1升、35個は大5合、残りの20個は小1升だったようです。
 
これを計算すると、
15×約720㎖ = 約10.8
35×約360㎖ = 約12.6
20×約240㎖ = 約4.8ℓ
 
合計で約28.2ℓとなり、とても多くの蘇が都へと送られていた事が分かります。

 現在の太宰府市には九州一帯をまとめる「大宰府(だざいふ)」という役所がありましたので、九州各地で作られた蘇は、まず大宰府に送られて、大宰府でまとめてから都へと送られていきました。
 
 ただし、牛乳がよく採れるかは自然にも影響されますし、都から遠い大宰府ですので届くのが遅れることもあったようです。
 永延2(988)年の正月20日、摂政(せっしょう)という高い身分にあった藤原兼家(ふじわらのかねいえ)という人が、自宅で大きな宴会を開くこととなりました。そのため、朝廷(ちょうてい)から兼家に蘇が送られるはずでしたが届きませんでした。
 実は、この年の蘇を担当していたのは大宰府だったのですが、都に届くのが遅れていたようです。結局、大宰府からの蘇は20日夕方に都に到着し、翌21日に無事に兼家のもとへ届けられました。


主な参考文献
白崎昭一郎「蘇について」1982年 『日本医史学雑誌』28巻
永山久夫『日本古代食事典』1998年 東洋書林
佐藤健太郎「古代日本の牛乳・乳製品の利用と貢進体制について」2012年 『関西大学東西学術研究所紀要』45巻

◇蘇つくりの写真
太宰府市でむかしの人たちが食べていた物や歴史、文化を研究(けんきゅう)している「常若の会(とこわかのかい)」のみなさんが作っているところにお邪魔して撮らせていただいたものです。(2018年7月18日撮影)
 
 


〔更新履歴〕
・2020年3月18日 公開開始
・2020年3月19日 数量の表記間違いを修正・大宰府から送られていた蘇の量を追記
2019年 08月12日
大宰府条坊 客館周辺 再現ジオラマ  古代の大宰府を覗いてみよう2!!

大宰府(だざいふ)条坊(じょうぼう) 客館(きゃくかん)周辺(しゅうへん) 再現(さいげん)ジオラマ
時代:8世紀後半 製作:森野(もりの)(はる)(ひろ)

古代大宰府の街並みは、地方最大の役所であった「大宰府(だざいふ)」を中心として広がっていました。様々な人や物が行き交い、海外との交流も盛んであった大宰府は大変(にぎ)やかな都市だったようで、769年に大宰府から都へ出された申請書には、「この府、人物(いん)(ぱん)にして、天下の一都会なり」と記されています。
古代大宰府の全容(ぜんよう)は未だ明らかではありませんが、今回、森野氏に発掘調査報告書などを基に、推定などを含めながら8世紀後半頃における大宰府の街並みの中心部分を製作いただきました。
朱雀(すざく)大路(おおじ)を中心に広がる街並み、客館(きゃくかん)での儀礼(ぎれい)の風景、道を行き交うたくさんの人々や暮らしの様子など、再現された活気あふれる街並みを是非ご覧ください。



朱雀(すざく)大路(おおじ)街並(まちな)
朱雀大路は、大宰府の街並みを中央にはしる大きな道です。大宰府政庁(せいちょう)の南側に位置する朱雀門からまっすぐ南へと延びており、その幅は現在の高速道路だと10車線分にあたる幅36mほどありました。
朱雀大路の両側には、90m四方(しほう)に区画された条坊制(じょうぼうせい)の街並みが広がっていたようです。区画の中はさらに分割されて、多くの家が建ち並び、人々が生活していたようです。「天下之一都会」ともいわれた古代大宰府の賑わいがうかがえます。

多くの人々が行き交う朱雀大路の左右には街並みが広がっていました。


高官(こうかん)たちの(やかた)
大宰府の街並みのメインストリートであった朱雀大路沿いには、大宰府で働く身分の高い役人(高官(こうかん))の(やかた)があったようです。
ジオラマで再現された時代から約100年後、901年に大宰府へと流された菅原道真(すがわらのみちざね)は高官用の館に滞在しましたが、手入れも悪く大変荒れ果てた様子だったようです。
この館は「
()南館(なんかん)」と呼ばれ、後に榎社(えのきしゃ)が建立されました。
また、周辺からは高官だけが
着用(ちゃくよう)を許された白玉帯(はくぎょくたい)(かざ)りなども出土(しゅつど)しています。


ジオラマでは便宜上(べんぎじょう)、大宰府において長官(ちょうかん)である(そち)に次いで高官であった「大弐(だいに)」「少弐(しょうに)」の館として再現しています。


客館(きゃくかん)
客館(きゃくかん)とは、外国からの使節(しせつ)たちが滞在(たいざい)するための施設(しせつ)です。
古代における大宰府は、外国とのやりとりを行う窓口として重要な役割を(にな)っていたため、政庁(せいちょう)で外交儀礼(ぎれい)などが行われました。
海を渡ってやってきた外国の使節たちは、博多湾(はかたわん)沿いの筑紫館(つくしのむろつみ)鴻臚館(こうろかん))にまず向かい、その後、(かん)(どう)を進み、(みず)()の西門を通り、大宰府の街並みへ南側から入り、客館に滞在しました。
客館跡では青銅(せいどう)で出来たお(わん)や皿、スプーン、貴重な陶磁器(とうじき)などが見つかっており、豪華(ごうか)なおもてなしが行われていたようです。

客館では大宰府の役人(左列)と外国の使節団(右列)が対面しているようです。


ジオラマで巡る古代大宰府の旅はいかがだったでしょうか?このコーナーでは、今後も少しずつご紹介する場所を増やしていく予定です。
 ご紹介した以外にも、太宰府には古代にゆかりある様々な遺跡が残っています。ぜひ散策しながら、古代の大宰府に想いを馳せてみてはいかがでしょう。


 
2019年 07月01日
大宰府政庁周辺 再現ジオラマ  古代の大宰府を覗いてみよう!!

大宰府(だざいふ)西海道(さいかいどう)九国三島(きゅうこくさんとう)(後に二島)を統括(とうかつ)し、対外的な役割も担った地方最大の役所でした。昭和43年から始まった発掘調査によって、往時には大宰府政庁(せいちょう)を中心として、周辺一帯に数多くの関連(かんれん)施設(しせつ)があったことが明らかになってきました。
大宰府展示館で展示している大宰府政庁周辺再現ジオラマは、森野(もりの)(はる)(ひろ)氏が8世紀後半頃の大宰府を、発掘調査報告書などを基に精密に製作されたものです。建物だけではなく、政庁で行われている儀式(ぎしき)や各所で働く役人達なども再現いただきました。
(よみがえ)った古代大宰府の様子をぜひご覧ください。

〔製作にあたり〕
大宰府展示館の方々をはじめ、関係者の皆様からのご支援により、大学生の頃から興味のあった8世紀後半の大宰府政庁周辺のジオラマを製作することができました。独自の解釈で製作した部分もありますが、古都大宰府にタイムスリップし、散策を楽しんでいただければ幸いです。ご支援いただいた関係者の皆様に厚く感謝申し上げます。     
                            平成30年11月10日 森野晴洋

◆古代大宰府を歩く

  それではジオラマで再現された8世紀後半の大宰府を探訪してみましょう♪


1.朱雀門(すざくもん)
大宰府政庁の正面には正門である朱雀門があったと考えられており、政務(せいむ)を行う空間と南側に広がる街並みを区切っていたようです。
朱雀門の跡は確認されていませんが、1982年に行われた御笠川(みかさがわ)での河川工事の際、川底から大きさ2.4m.8m、厚さ1.3m、重さ7.5tもある巨大な礎石(そせき)が見つかったことから門の存在が推測(すいそく)されています。

 
門の前には警固(けいご)の兵士が立ち、通る人々をチェックしていたようです。
右側の写真は、展示館から歩いて5分ほどの
朱雀(すざく)大路(おおじ)交差点そばに置かれている朱雀門礎石です。



2.前面(ぜんめん)広場(ひろば)地区(ちく)
朱雀門の北側から大宰府政庁の入口である南門にかけては広場があったことが発掘調査で分かっています。広場を作るため、谷筋を埋め立てるなど大規模な整地作業が行われたようです。
 
朱雀門を過ぎると広場となっており、正面には大宰府の中心である政庁が見えてきます。

広場には、九州各地からの税を運ぶ人々が行き来しているようです。また、広場の(すみ)では警固の役人たちが皆で鍛錬(たんれん)を行っている様子がうかがえます。


3.大宰府(だざいふ)政庁(せいちょう)
九州全体を治めていた地方最大の役所・大宰府(だざいふ)ですが、その中心的な建物を政庁(せいちょう)といいます。政庁では、左右に2つずつ並ぶ(わき)殿(でん)正殿(せいでん)などで政務が行われていました。また、建物に囲まれた中央の広場では儀式(ぎしき)などが行われていました。

 
ジオラマを(のぞ)いてみると、広場では紫の服を着た長官である(そち)が、役人たちを一同に集めて訓示(くんじ)などをしているようです。
また、重要な施設である政庁を警護(けいご)するため、南門(なんもん)の前には兵士たちが立っています。

  
おや?南門の右手から御供(おとも)を連れた女性が桃色の傘を差して歩いてきています。その様子から身分の高い方のようです。もしかすると長官である大宰帥の奥様かもしれませんね。
現在の大宰府政庁跡


大宰府(だざいふ)政庁(せいちょう)周辺(しゅうへん)官衙(かんが)
大宰府には様々な仕事を行う官衙(かんが)(役所)が19あったと考えられており、その多くは政庁周辺に置かれていたようです。発掘調査が進められていく中で、大宰府政庁周辺に存在していた官衙(役所)の様子が分かってきました。政庁の周辺に広がる地区を見ていきましょう。


【大宰府政庁周辺の官衙関連地区一覧】

大宰府の主な組織
主神司(神祇祭祀)      防人司(防人の管理監督)
蔵司 (調庸物の出納)    税司 (正税等の出納)
匠司 (営繕・手工業生産)  主船司(船舶の修理)
主厨司(食材の調達)     薬司 (医療・医薬の管理)
城司 (大野城等の管理)   学校院(役人の養成)
府政所(大宰府の事務の統轄) 国政所(筑前国兼帯の国務)
貢上染物所(貢納物の染色)  作紙所(紙の生産)
警固所(外敵防備)      修理器仗所(兵器の修理)
兵馬所・兵馬司(兵馬の管理) 大帳所(計帳の管理)
公文所(公文書の保管)    貢物所(貢納物の弁備)
蕃客所(外国使節の応接)・大宰府鴻臚館


4.蔵司(くらつかさ)地区(ちく)
大宰府(だざいふ)政庁(せいちょう)周辺(しゅうへん)(そん)(ざい)していた官衙(かんが)(役所)のうち、まずは政庁西側にある蔵司地区をみてみましょう。 
古代において西海道(さいかいどう)(九州)を統括(とうかつ)していた大宰府には様々な役所がありました。その1つに九州各地からの税物(ぜいぶつ)出納(すいとう)や大宰府の財政を管理した「蔵司(くらのつかさ)」という役所がありました。
大宰府政庁のすぐ西側にある丘陵は、地元で「くらつかさ」と呼ばれており、建物の柱の土台となる礎石(そせき)も数多く残っていたことから、「蔵司」はここにあったのではと考えられてきました。
現在、九州歴史資料館(きゅうしゅうれきししりょうかん)による発掘(はっくつ)調査(ちょうさ)が行われており、この場所にかつてあった「蔵司」の様子が徐々に明らかになってきています。
蔵司地区は現在も発掘調査が行われておりますので、自由な一般見学は出来ません。現地説明会などの機会をぜひご利用下さい。)

 


 

ジオラマを(のぞ)いてみると、ちょうど荷車で運んできた大量の荷物を下ろす作業が終わったようです。疲れた人々の横で、青色や黄色の服を着た役人たちが荷物の内容を確認しているようです。
また、隣にある倉庫に囲まれた場所では、黄色の服の役人が、荷物の運び先などの指示を出しているようです。

5.不丁(ふちょう)地区(ちく)
大宰府政庁の南側、前面広場の西側に位置するのが不丁地区です。
ここでは、発掘調査によって大規模な建物・(さく)区画(くかく)(みぞ)・井戸などが確認されました。
また、地中からは190点ほどの木簡(もっかん)が出土しており、紫草(むらさき)に関するものも多いことから染色(せんしょく)工房(こうぼう)(貢上染物所)があったのではと考えられています。
その他にも、墨で文字が書かれた墨書(ぼくしょ)土器(どき)も多く出土しており、記されていた「政所」などの文字から、行政的(ぎょうせいてき)事務(じむ)を取りまとめる役所があったとも考えられています。


 

ジオラマを(のぞ)いてみると、生産された製品を黄色の服の下級役人が確認しているようです。無事にチェックが終わった物から積み込みや運び出しが行われているようです。

大宰府政庁跡交差点そばには、旧小字(きゅうこあざ)不丁(ふちょう)」を示した石柱(せきちゅう)が残っています。

6.大楠(おおくす)地区(ちく)
不丁(ふちょう)地区(ちく)の西側には大きな(みぞ)SD320)を挟んで大楠地区があります。これまで大楠地区は官衙(かんが)(役所)ではなく役人たちが住む地域と考えられてきましたが、発掘調査によって大規模な建物が地区の南北で見つかり、溝や柵なども確認されていることから、官衙があったと考えられるようになってきました。
大楠地区周辺では、「烏賊(いか)」、「(きたい)」(干物の一種)と書かれた木簡(もっかん)、「厨」と読める墨書(ぼくしょ)土器(どき)、移動式の(かまど)などが見つかっており、大宰府の食を司った役所「主厨司」が存在していたのではないかと考えられています。
 

 
ジオラマを(のぞ)いてみると、なにやら大勢の人々が忙しそうに働いています。北側では荷物を運ぶ人々の姿が見え、建物の前にはたくさんの(つぼ)(かめ)が並べられて確認作業が行われているようです。各地から運ばれた食材の数々が詰まっているのでしょうか。
一方、南側では大きな容器を大切そうに運ぶ2人組みの姿が見えます。もしかすると食事として皆に出される(あつもの)(温かい汁物(しるもの))をこぼさないよう慎重に運んでいるのかもしれません。

7.月山(つきやま)月山東(つきやまひがし)地区(ちく)
大楠(おおくす)地区の次は、政庁を挟んで反対側の東側にある地区をみていきましょう。
大宰府展示館の北側に隣接する丘陵(きゅうりょう)月山(つきやま)です。地元では、漏刻(ろうこく)(水時計)が設置されていたと伝えられています。大宰府は774年には漏刻が設置されていたことが『続日本(しょくにほん)()』にみえますので、もしかすると月山から時を告げる音が大宰府の街並みに(ひび)いていたかもしれません。
大宰府展示館や月山の東側に広がるのが月山(つきやま)東地区(ひがしちく)です。発掘調査によって複数の建物や東西約110m・南北約70mに(およ)(さく)が確認されました。政庁に隣接する大規模な遺跡であることから、梅花(ばいか)(えん)を開催した大伴旅人(おおとものたびと)邸宅(ていたく)候補地(こうほち)の1つとされています。

 

ジオラマを(のぞ)いてみると、建物の広場にたくさんの人々が集まっています。広場に立てられた旗を中心に、(えん)を描く人々が(にぎ)やかに()(がく)舞楽(ぶがく)を演じている様子を皆で楽しんでいるようです。
大宰府展示館を出てすぐ東側には、発掘調査で確認された建物の柱や柵の列の跡などが再現されています。

8.日吉(ひよし)地区(ちく)
大宰府政庁の南東側、月山東地区から見ると南側にあるのが日吉地区です。
発掘調査でコの字形(じがた)の大規模な建物跡が確認され、文字を書くのに不可欠な(すずり)が130点ほど出土していることから、事務(じむ)が主な業務(ぎょうむ)である役所だったようです。

 
ジオラマを(のぞ)いてみると、中央では役人たちが集まって打ち合わせをしているようです。担当者である青色の服の役人が、今日の業務(ぎょうむ)内容(ないよう)について指示(しじ)を出しているのかもしれません。
また、地区の南では大宰府の高官(こうかん)(だい)()少弐(しょうに))である赤い服を来た役人を中心に、役人たちが武術(ぶじゅつ)の試合を見守っているのでしょうか。腕利(うでき)きの役人たちが日頃の鍛錬(たんれん)の成果を披露(ひろう)しているようです。

9.学校院(がっこういん)
大宰府(だざいふ)政庁(せいちょう)の東側には、役人を養成(ようせい)する機関(きかん)である学校院(がっこういん)があったと考えられています。
1971年に発掘調査が行われましたが、当時の(くわ)しい状況は分かっていません。
当時は(くに)(ごと)に機関が置かれましたが、筑前(ちくぜん)筑後(ちくご)肥前(ひぜん)肥後(ひご)豊前(ぶぜん)豊後(ぶんご)の6ヵ国は大宰府へ来て学びました。学校院では、中国の書物を教科書として、役人に必要な政治・医術(いじゅつ)算術(さんじゅつ)・文章などの知識を学んでいました。一時期は約200人が学んでいた記録もあることから、学問の中心地として(にぎ)わったようです。
  
 
ジオラマを(のぞ)いてみると、どうやら緑色の服を着た教官(きょうかん)博士(はかせ)に、学生たち講義(こうぎ)で分からなかったところを質問しているようですね。
国史跡大宰府学校院跡 現在の風景

10.観世音寺(かんぜおんじ)
観世音寺(かんぜおんじ)天智(てんじ)天皇(てんのう)が母・斉明天皇(さいめいてんのう)菩提(ぼだい)(とむら)うため発願(ほつがん)したお寺です。「府の大寺」と呼ばれた大寺院で、境内には国宝の梵鐘(ぼんしょう)をはじめ、天平(てんぴょう)石臼(いしうす)碾磑(てんがい))や五重塔(ごじゅうのとう)礎石(そせき)などが現在も残ります。また、宝蔵(ほうぞう)には5mを超える馬頭(ばとう)観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)をはじめ、16体の尊像(そんぞう)(重要文化財)が安置されており、西日本随一の仏教美術を見学することが出来ます。

当時の観世音寺は、境内の東側に菩薩院(ぼさついん)、西側に僧侶(そうりょ)戒律(かいりつ)(さず)けるための戒壇院(かいだんいん)があり、北側にはたくさんの僧侶たちが生活する巨大な僧房(そうぼう)がありました。
また、東側には大衆院(たいしゅういん)と考えられる東院(とういん)、西側には政所院(まんどころいん)と考えられる西院(さいいん)と呼ばれる場所があり、観世音寺の寺院活動や僧侶の生活を支える施設として機能していたようです。
 
ジオラマを(のぞ)いてみると観世音寺の境内にたくさんの僧侶が集まっているようです。これから大切な法要(ほうよう)などが行われるのでしょうか。
また、戒壇院には僧侶たちが規律(きりつ)正しく並んでいます。戒律(かいりつ)を授かるための準備をしているのかもしれませんね。



ジオラマで見る古代大宰府はいかがだったでしょうか。古代の大宰府は、政庁を中心とした様々な役所をはじめ、教育機関や寺院などが建ち並ぶ一大都市でした。「天下之一都会」ともいわれた往時の大宰府の様子を、ジオラマを通じて知って頂ければ幸いです。
太宰府市には今回ご紹介した以外にも古代にゆかりある様々な遺跡が残っています。ぜひ現地を散策しながら、古代の大宰府に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
2019年 06月25日
臨時職員の登録を受け付けます
臨時職員の登録を受け付けます。
大宰府展示館で勤務する臨時職員を希望される方は、あらかじめ登録を必要としますので、申込をお願いします。

■登録受付
 月曜日・土曜日・日曜日・祝日を除き、午前8時30分から午後5時まで

■提出書類
 1.登録申込書(大宰府展示館備え付け、または当財団のホームページからダウンロード)を郵送、または持参ください。
   → 申請書一覧ダウンロードサービス
 2.学芸員資格証明書(学芸員補助業務を希望する方のみ)

■提出先
 公益財団法人古都大宰府保存協会(大宰府展示館内) ※郵送可

■任用方法
 登録された人の中から、雇用を必要とするときに面接等で選考し採用します。
 登録者全員に採用を約束するものではありません。

■勤務日・時間
 週3日(土曜日・日曜日・祝日を含むシフト制)午前8時30分から午後5時まで
 ※月曜日休館(祝日の場合は開館。翌平日休館)

■賃金(平成31年度)
 日額(7時間45分) 6,400円
 支給日/ 毎月22日(月末締め翌月払い・土日祝日の場合はその前日)
 労災保険加入

■登録有効期間
 受付日から1年間

■職種
 (1)受付・一般事務(Word・Excelなどのパソコン操作ができる人)
 (2)学芸員補助業務(学芸員有資格者)


■お問い合わせ先
 公益財団法人古都大宰府保存協会
 〒8181-0101
 太宰府市観世音寺四丁目6-1(大宰府展示館内)
 TEL (092)922-7811
 午前8時30分から午後5時
 ※休館日/ 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日休館)・12月28日から翌年1月4日)