モデルコース

水城跡を歩く〔東側コース〕(2時間)

水城館 → 水城跡展望台 → 水城東門跡 → 水城跡 → 衣掛天満宮 → 水城館

筑紫平野を横切るように築かれた防衛施設・水城跡は、1300年以上の歴史を誇る国特別史跡です。
本コースは水城跡の様々な見どころの中から、水城館を中心とした水城跡の東側部分を巡るコースです。
続日本100名城にも選ばれた水城跡の歴史や景観をはじめ、菅原道真公ゆかりのスポットなどをお楽しみください。

ご紹介しているコースは、ボランティア「大宰府史跡解説員」によるご案内も可能です。
ご希望の方は2週間前までにお申し込みください。お申し込みはこちらまで
  1. 水城館
    水城館は平成29年4月に開館した施設で、建物は水城の土塁をイメージした盛土の内部に設けられています。
    館内では水城跡について映像やパネルでご紹介しており、パンフレット等も備えています。
    また、休憩スペースや福祉トイレを備えていますので、水城跡散策の拠点として是非ご利用ください。

    開館時間 9:00~16:30
    休館日  月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌平日に休館)
    入館料  無料

    〔水城館へのアクセス〕
    お車をご利用の方は以下の2か所をご利用ください。いずれも水城館まで徒歩3分ほどの場所にございます。
    ・水城跡第1広場 普通車専用 15台程度 
    ※出入口は東側の旧道側のみとなります。県道112号線側にはありませんのでご注意下さい。

    ・水城跡第2広場 普通車30台程度(普通車がなければ大型バス4台程度)

    バスご利用の方
    西鉄都府楼前駅より太宰府市コミュニティバス「まほろば号」の「③水城回り」、または「④国分回り」にご乗車頂き、「特別史跡水城跡東門前」で下車、徒歩1分。
    運賃100円均一
    ※所要時間 ③水城回り 約15分
          ④国分回り 約20分
     
  2. 水城東門跡展望所
    水城館東側の土塁上には展望所が設けられており、水城跡の東側一帯を一望できます。
    水城の規模や構造がよく分かる素敵なビュースポットとなっています。
  3. 水城館前広場 万葉歌碑(大伴旅人と児嶋)
    水城館前の広場には730年に水城で歌を詠みあった大伴旅人と児嶋の万葉歌碑があります。

    元号「令和」の典拠となった「梅花の宴」を開催したことで知られる大伴旅人は、730年の冬に都へと戻ることとなり水城で役人達の見送りを受けました。
    その時、見送りに来ている人々の中に親しくしていた女性・児嶋の姿を見つけます。
    身分が違う2人が直接言葉を交わすことは難しかった状況のなか、再び会えないであろう別れの悲しみを児嶋は歌として詠みます
    凡(おほ)ならば かもかもせむを 恐(かしこ)みと 振りたき袖を 忍びてあるかも
    あなたが普通のお方なら、あれこれいたしますが、恐れ多いので、振りたい袖をこらえています。
    (『万葉集』巻六-九六五)
    これを受けて、大伴旅人は次のように返しています。
    ますらをと 思へる我や 水茎の 水城の上に 涙拭(たのご)はむ
    立派な男だと思っている私が、水城の上で涙をぬぐうことだろうか。
    (『万葉集』巻六-九六八)
    別れる2人の悲しみを感じる歌が、詠まれた故地である水城跡に歌碑として建立されています。


    大伴旅人と児嶋
    (古都大宰府保存協会所蔵・山村延燁作 博多人形による「梅花の宴」再現ジオラマより)
  4. 水城東門跡
    水城は古代において大宰府防衛という重要な役割を担っていましたが、時代が下るにつれて大宰府と他の地域を区分する境界線のような役割を担っていったようです。
    都から赴任する長官などは、博多から真っ直ぐ伸びる古代官道を通って水城東門へ到着すると、ここで大宰府の役人達の出迎えを受けていたようです。
    また、長官などが任期を終え大宰府から都へ帰る際には、大宰府の役人達が水城まで見送りにきていたようです。

    現在、水城の東門があったとされる場所には東門の柱を支えていた礎石が1つ残っています。
    江戸時代には「鬼の硯石(おにのすずりいし)」とも呼ばれた礎石を是非ご覧ください。
  5. 水城大堤之碑
    水城三丁目交差点のそばに、ひときわ目を引く大きな石碑があります。
    これは大正4年(1915)に行われた天皇陛下の即位式と大嘗祭をあわせた御大典を記念して、地元の水城村青年団が中心となって建立したものです。
    建立に際して、碑文を刻む棹石は博多から、台座の石は太宰府の北東にある宝満山から青年会の人々が自ら運びました。
    また、石碑の背面には当時行われた水城跡の測量結果などが刻まれています。
    地元の人々が古くから水城を大切にしてきたことを教えてくれる文化遺産です。
  6. 水城跡
    水城跡第2広場から眺めると目の前に大きな土手が続いているのが見えます。
    この土手が、実は1350年以上も前に作られた人工の土塁「水城(みずき)」です。
    中国(唐)や朝鮮半島(新羅)と緊張関係が高まるなか、日本が攻められることに備えて664年に築かれたもので、福岡平野が大宰府にむかって一番狭まるこの場所に、長さ約1.2km、基底部の幅約80m、高さ約10mという規模で築かれた巨大な土塁です。

    〔なぜ「水城」というのか?〕
    水城跡では現在見ることができませんが、実は造られた当時の水城には両側には濠があり、水が貯えられていたことが分かっています。
    博多側(北側・外側)には幅約60m、深さ約4mの濠があり、敵の侵入に備えていたようです。
    また、水城には現代の水道管のような「木樋(もくひ)」が設置されており、内側の太宰府側(南側)から外側の博多側へと水が送り込まれていたようです。
    奈良時代に編纂された『日本書紀』という歴史書の中には、「大堤を築きて水を貯えしむ。名付けて水城という」と記されていることから、水城(みずき)という名前で呼ばれ今日まで親しまれています。
  7. 水城瓦窯跡
    水城跡東側で古代の九州では珍しい窯跡が見つかっています。
    場所は、水城東門跡から少し御笠川沿いへと進んだところで、確認された2基の瓦窯跡は水城瓦窯跡と呼ばれています。
    この瓦窯跡はロストル構造と呼ばれる平窯で、古代九州では大変珍しいものです。主に都(奈良)で用いられていた技術ですので、都の専門家や技術者が携わって建造したと考えられています。
    水城が作られてから約100年後の745年に、大宰少弐(大宰府でNo3にあたる役職)の采女朝臣清庭(うねめのあそんきよにわ)という人物が修理水城専知官(しゅりみずきせんちかん)に任命されています。
    この役職は水城の修理を担当したといわれ、水城瓦窯跡で焼かれた瓦を水城の門や建物の屋根に用いたと考えられています。
  8. 水城木碑跡
    巨大な水城には内部を横断するように木樋(もくひ)という水を流す管(現在でいう水道管のような物)が埋められていました。
    水城の外側(博多側)には幅約60m、深さ約4mの濠があり、敵の侵入に備えていたのですが、木樋はこの濠に水を供給するための物だったのではないかと考えられています。
    木碑は水城の内側から外側へと80mほどに渡って埋設されており、長さ6m以上もある大きな木材等も用いられていました。
    水が通る木樋内側のサイズは、およそ120cm×75cmほどで、大人の人が十分入れるほどの大きさがありました。
    現在までに水城跡の木樋は、抜き取られてしまっていた跡も含めて4ヶ所見つかっています。
    江戸時代の『筑前国続風土記』には、元禄12年に水城そばの田圃を掘った際、大木が2つ掘り出されたことが記されており、この大木は木樋のことと考えられます。史跡で見つかった大きな木材は当時の人々にとっても大変貴重だったのかもしれません。
    現在、水城跡の木樋は九州国立博物館や九州歴史資料館に所蔵されていますが、その他にも地元の寺院や中学校の扁額、お茶室の板材などに用いられたと伝わります。

    〔ここに注目‼〕

    県道112号線から水城木樋跡へと向かう入口に写真のような構造物があります。
    これは当時の木碑の大きさや設置されていた場所などを再現したものですので、是非ご覧ください。
  9. 衣掛石
    県道112号線に面した祠に菅原道真公ゆかりの石が祀られています。
    この石は衣掛石と呼ばれており、道真公が大宰府へ赴いた際に着替えた衣を掛けた石と伝えられています。
    また、石の表面には室町時代の宝篋印塔が刻まれています。
  10. 衣掛天満宮
    菅原道真公が大宰府へ赴く際、この地で着替えた衣を松と石に掛けたという故事に因み、後世の人が建てた社です。
    昭和の中頃までは本殿の裏山に大きな松の木があり、博多方面からもよく見えたといいます。
    その後、ご神木である松は枯れてしまいましたが、拝殿には往時の姿を描いた絵馬が掲げられています。
    また、拝殿入口にはご神木の松を用いた扁額が掲げられています。
  11. 姿見井(すがたみのい)
    901年に菅原道真公が大宰府へ西下した際、身支度を整えるため、この地にあった池に自らの姿を映したといいます。
    道真公は池に映ったやつれた自身の姿を嘆き、池の水をかき回したところ水はたちまち濁り、その後決して澄むことがなかったと伝えられています。
    近年の調査により、明治期以降に造られた幅1.5m、奥行2.5mの石組み池跡が確認され、現在は「姿見井」として復原されています。
  12. 水城館
    水城館は平成29年4月に開館した施設で、建物は水城の土塁をイメージした盛土の内部に設けられています。
    館内では水城跡について映像やパネルでご紹介しており、パンフレット等も備えています。
    また、休憩スペースや福祉トイレを備えていますので、水城跡散策の拠点として是非ご利用ください。

    開館時間 9:00~16:30
    休館日  月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌平日に休館)
    入館料  無料

    〔水城館へのアクセス〕
    お車をご利用の方は以下の2か所をご利用ください。いずれも水城館まで徒歩3分ほどの場所にございます。
    ・水城跡第1広場 普通車専用 15台程度 
    ※出入口は東側の旧道側のみとなります。県道112号線側にはありませんのでご注意下さい。

    ・水城跡第2広場 普通車30台程度(普通車がなければ大型バス4台程度)

    バスご利用の方
    西鉄都府楼前駅より太宰府市コミュニティバス「まほろば号」の「③水城回り」、または「④国分回り」にご乗車頂き、「特別史跡水城跡東門前」で下車、徒歩1分。
    運賃100円均一
    ※所要時間 ③水城回り 約15分
          ④国分回り 約20分